ケリー・スレーター、サーフィン界のスーパースター

1990年の夏、光まぶしいある朝に、フロリダ州ココアビーチ出身で高校を卒業したばかりの体の引き締まった若者、ケリー・スレーターは、カリフォルニア州サンクレメンテのトラッセルズと呼ばれるビーチエリアで、8フィートの波が割れる中、パドルアウトしていった。トップコンペティターを前にしてアクロバティックなライディングを次々と見せつけていたケリーは、その日の終わりにはボディーグローブサーフバウトで優勝賞金$30,000を手にしていた。その日、ケリーのパフォーマンスを目撃していた人は、サーフィン史に残る偉大な記録、いやすべてのスポーツ史上で語り継がれる伝説の始まりを見ていたことになる。

 

それから20年以上を経て、40歳を迎える直前の2011年にサンフランシスコ・オーシャンビーチで直近のワールドチャンピオンを獲得したケリーは、誰でもよく知っている名前というわけではないが、世界で最も偉大なアスリートになったと言えるだろう。そして、ケリーはサーフィン界が生み出した、ジャンルの垣根を超えたスターに最も近いところにいる。ケリーはインタビューマガジン(“Half Fish, Total Dish”)で表紙を飾り、パールジャムのメンバーと一緒にギターを弾き、自身のロックバンドを組み、ベルサーチの下着広告のモデルを務め、テレビドラマ“ベイウォッチ”で9話におよんで自分の道を突き進むサーファーの役を演じた。今日、スポーツ界の英雄としてのケリーの立場は、象徴的な地位を得るに至っている。連鎖する円状のグラフィックで彩られ、イニシャルの“K”がデザインされたケリーのフォーム&ファイバーグラス製ボードの1本が、国立アメリカ歴史博物館に展示されているということも、そのことを象徴する事例だろう。

 

続きを読みたい人は、http://www.smithsonianmag.com/arts-culture/Kelly-Slater-the-Chairman-of-the-Board.htmlまで(英語)。